pre-communication

模擬会話

打ち明け話

Disclosure: うつ病がまだ直っていない

「1年ぐらいで治るよ」と精神科医に言われる程度の軽いうつ病がもう5年近く続いている。

カウンセリングは効かないし友人に相談しても何も良くなる感じがない。 あるいはまともな相談相手をやってくれるような友人がいないと言ってもいい。

物語を少し語れば彼らはそれで満足らしい。

今までネガティブだったけど、今はポジティブです。ポジティブになる兆しがあります。みたいな物語。 回復の可能性を僕が語ればそれはすなわちそのまま着実に回復することを意味するらしい。 暗い過去に原因を見出してそこから明るい未来を帰結すれば立ち現れた因果関係に彼らの論理回路は満足し、計算を終了する。 こんなにも脆い論理展開なのに。 少し突けばボロが出るそれを僕は彼らに語った後で実際に自分の中で破綻させている。 元から破綻していたのだからそうなるのは仕方ない。 単なる時間の問題で、語る瞬間は顕在化しないが、それはそれが十分に短い時間感覚だからだ。 ある程度の時間があれば自動的に思考が進み、論理の欠陥は明らかになり、別の物語を探さねばならなくなる。

物語を語ってしまうのが問題なのだ。 僕は人にはいいところを見せようとするところがある。 学校の先生と生徒。 生徒の立場に僕はずっと立っている。 何かの評価基準があり、それに乗れば喜ばれる。 喜ばれないということは何かの期待に背いたということだ。 その恐怖に潜在的に突き動かされている。 人間関係に感情を依存させすぎている。 『人間関係に感情を依存させすぎている。』。ここでもまた物語を作ろうとしている。

最近は思考の深さと精神の調子の関係について気が付くことがあった。

世間一般では思考を深めていくとどんどん状態がよくなるものだと思われている。 悪い状況がある。思考を一歩進める。事態が少し改善する。もう一歩進める。また改善する。こんな調子で最終的に良い状況に持っていけるというのが常識的な考え方。

しかし実際には思考と状況、特に精神状態に関しては、螺旋のように進んでいくものだというのが僕の気付きだ。 たとえ間違った考えから着実に論理の階段を登って正しい考えに到達する過程であっても、その間の精神状態は一直線に良くなっていかない。 憂鬱である。ここで思考。良くなる。ここでもう一つ思考。今度は悪くなる。もう一発。良くなる。これの繰り返し。

なぜ毎度悪くなるのかと訊かれたら思考とはディベートだからだと答える。 賛成派が発言した後には賛成の色が濃くなるが、その後反対派が良い反駁を返せば反対に傾く。 正しい考えへの道には良い対立意見が必要であることを考えれば、思考が正常であるほど強い反駁が毎度返ってくることになる。 反駁の度に未来の認識は憂鬱のほうへと引き戻される。 それに反論してもラリーが続くだけである。良い。悪い。良い。悪い。良い。悪い。

この枠組みで考えると正常な精神状態へはなかなか戻れないように思えてくる。 一方で、世の中の大半の人の精神状態は正常である。

これはなぜか。 おそらく人間は自分の立場が思考のディベートで揺らいだりしないのだろう。 平たく言えば大半の人間は楽観的だということだ。 楽観的とまでは言わなくても、自分の健康を脅かす程度に悲観的にはなかなかならないようにできているのだろう。

正常な人間でも思考は上のような形を取るが、彼らは常に賛成側の立場を維持できる。 良いと推論する。すると悪いと反駁が飛んでくる。しかし彼らの立場はその反駁で揺らがない。なおも賛成の立場からそれを受け止め、短い時間で更なる反論を飛ばせる。

それが彼らが(認知療法でよく言われるような)思考(事実)と認知(解釈)の分離が正しくできているからなのか、それとも思考そのものが楽観なのかは分からないが、そうなんだと思う。 実際、そういう機能がなければ常に情緒不安定になるのだから人間には必要な機能である。流石生命。よくできている。

しかし一度その機能を失ったときにすぐに戻れるようにする機能も標準で装備していてほしかった。 失っていた期間が長すぎたからか、それを取り戻すのに酷く時間がかかっている。