pre-communication

模擬会話

文章と助けを求めること

いつの間にか人に文章を書くことと承認欲求を満たすために文章を書くことをイコールで考えている自分がいた。 別に後者がずっと自分になかったかというとそんなことはなくて、中学生のときにブログを書いていたときもなんで書いているかといえば基本的に人に面白いとか言ってもらいたいからで、まぁ後者じゃんって感じなんだけど、あのころはもっと間に厚いベールがあった気がする。

認めてもらいたいんだけどどうやったら認めてもらえるか分からなくて、とりあえず自分が思う良い文章を書くというふうに行動が流れていた。 当時は当然SNSもなかったし、ブログにそなわっているアクセス解析機能なんてのも貧弱なもんだったから、自分のどの記事が受けたのかなんて全然分からなかった。極稀に来るコメントを見るとか、当時はやっていたブログランキングに登録してランキングの推移を見るとか(投票が来るのは稀だったからこの方法もたいして役に立たない)そんなものからなんとなく予想するだけだった。Googleアルゴリズムページランクによるウェブサイト毎の点数に大きく依存していて、そのランクが低い弱小ブログが検索結果上位に載ることはなかった。 そういう状況で書く文章は他人からの評価というよりも自分の評価によってジャッジされて、良いと思う文章を書いてどこの誰だか分からない他人が見て楽しんでくれるのを待つという感じだった。待っても来ない他人。

それに比べて今はなんて話は言うまでもないので省く。 いつの間にか数十字程度のツイートに来るいいねの数を専ら気にしていた。

数年、いやもっと前から「人に頼れるようにしていかないとこの先立ち行かなくなるだろう」という気持ちがあった。 人生で自分に降ってくる難事は年を取るごとに大きくなっていくわけで、今自分ひとりで太刀打ちできていても将来もそうだとは限らない。 その将来いざというときに人に頼れるようになるために必要なのが自分の状況を人に言語で伝えることだと最近気づいた気がする。 この能力はまさに承認欲求を満たす以外の他人に文章を書く目的だろう。

と、ここまで書いてあまりにも自分の話の本題に入っていけないことに辟易し始めた。 積み重なる前置き。前置き。読者には必要であろう本論からの脱線。前提の説明。 自分の頭の中では「アレ」で済んでいることが他人に伝えようとするとそれなりの文章になってしまう。 これをめんどくさがることこそが他人に文章を書くのが苦手ということであり、今までそれをしてこなかった負債という気もするが… 小学生の頃なんかは千文字程度の読書感想文を書くのに泣きそうになっていたが、大人になると結構書くことは出てくるものなんですね。

日を改めます。