pre-communication

模擬会話

1聞いて10分かった気になる人

1聞いて10分かった気になる人がいる。
「分かる」、ではなく、「分かった気になる」。

 

こちらがほんの少ししか喋ってないのに、こっちが言おうとしていることを100%分かったと思い込む人。
そしてその思い込みに従ってアドバイスや評価をしたりする人。
大抵は、こちらの発した僅かな言葉からこちらの体験や意見を自分が昔体験したり考えたことと同一だと勘違いして、
少しズレた意見を言ったりする。
言われた人は相手がまるで1聞いて10を知ったふうに話すものだから、そのズレに気付かなかったりする。

 

 

状況によっては僕もそうなる。

昔ソフトウェアエンジニアになりたての友人が、仕事でうまくいかないことを話したいのにうまく言語化できてなかったとき、僕は心のなかで「どうせこういうことが言いたいんだろ」と思って話がなかなか前に進まないことに歯痒さを感じていた。
もっともそのときの僕は、思い込みに従ってアドバイスしたりはせずに、「こういうことが言いたいの?」っていうふうに何度も訊いていただけだったから、まだマシだったかもしれない。

 

 

誤解を防ぐために一応区別をする。
人の話を聞いた時に、それと「近い」自分の体験を想起する「能力」は重要だと思う。
相手に共感したり、会話を前に進める上で必要になってくる能力だし、これは僕に足りてない能力でもある。
ここで言っているのはそうではなく、自分の体験を相手の体験と「同じ」だと思い込む「姿勢」のことだ。

 

 

あたかも悪いことのように書いたけど、実際には会話の目的を何に据えるかで変わると思う。

 

例えば、単におしゃべりを楽しみたい場合。

「分かる!」と相手に共感して盛り上がるのは良いことだと思う。
盛り上がればいいから、話の中身が実際とずれていてもそこまで気にはならない。

 

あとは、会話の当事者の関係性が定まっている場合はむしろ良いほうに働くこともあると思う。

例えばある会社でAさんがBさんの部下だったとき。
この場合、Aさんが社内で体験することはだいたいBさんも体験してるだろうから、会話の早い段階で
アドバイスなどをくれることは良いことだろう。

 

 

だけど、ある種の会話においては、こういう姿勢は悪い方に働くんじゃないかと思っている。

ある種の会話というのは、なんというか「深い会話」とでも言うようなもの。
例えば、会話によって双方が新しい知識を得るとか、悩みの解決法が見つかるとか、思いを共有するとか…とか…
うまく言い表せないけど、なんでこんな会話を題材にするかというと、これが多分僕がやりたい会話だからだ。
まだ自分の中でも明確になってないから漠然としているのは仕方ない。

 

とにかく、そういう会話では早計な「分かったつもり」は目的への到達の障害になりうる。

まずもって言おうとしていることを取り違えられているのだから適切な意見を貰うことはできない。
取り違えている側は会話の全てが自分の体験から引き出されるだけなので、会話から新しいことを何も得られないだろう。
更に取り違えられた側が本当に話したかったこと、やりたかった会話をその場に実現することが難しくなる。

 

 

会話の目的によって変わると書いたけど、もっと根本的に、そのような「姿勢」に対する疑念もある。

自分の体験や昔考えたことが一般的なものだとむやみに思い込む態度は、世界や人の多様性や複雑さへの理解の欠如の印なんじゃないだろうか。
そういう姿勢をもつ人は、例えば大きな話だとLGBTとか、身近な話だと結婚しないこととか、そういうことに対する受容も同様に難しくしているという予想がある。

 

 

前半で区別したように自分の近い体験を思い出す能力は強力な能力だと思う。

でもそれに飲み込まれて、世の中を過度に単純化して見てしまうのは避けたい。

複雑さに向き合うだけの知性と謙虚さを備えたいと思う。

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